ニコ・キツァーキス:日本語を学ぶことがどのように物事を見る目を変えたか。

おもしろおかしい国「日本」がどのように彼のデザインワーク,そして人生に影響を与えたか。日本人から見る日本とは異なる,とても興味深い講演がTYPO Berlinで行われた。

© Sebastian Weiß / Monotype© Sebastian Weiß / Monotype

 現在スイスで,グラフィックデザイン,タイポグラフィ,フォトグラフィ,モーショングラフィックス,ビデオプロダクション等をこなすマルチタレントデザイナーとして活躍しているニコ・キツァーキスさん(以下キツァーキスさん)。彼自身の母国語はドイツ語だが,今回TYPO Berlinでは英語で講演された。毎年ヨーロッパ中から観客が集まるこのTYPO Berlinでは英語で講演を行うほうがより多くの人々に直接話しかけられることから多くの講演者が英語でプレゼンテーションを行う。

講演開始前

 まず初めに,司会者のシュテフェン・コールスさんの挨拶から始まった。


  「こんにちは」(日本語)このトークは日本語でやります。(英語で)

という軽いジョークから始まるのだが,観客は「こんにちは」という言葉が何語なのかいまいちわからなかったのだろうか,大多数がキョトンとしていた感じを受けた。すべったようだ。間違いない。

自身の生い立ち

 今回キツァーキスさんはこの舞台で何を話すか迷った挙句,自分というデザイナーの生い立ちについて話すことにした。

© Niko Kitsakis

 プレゼンテーションの最初の写真は,Appel II の前に座る自身の子供の頃の写真から始まり,任天堂ファミリーコンピューターとの出会い,マックとの出会い,インタラクティブデザインに魅了されたこと,日本からくるものがいつも面白おかしなものだったこと,いろいろあって日本に興味をもち日本語を学び始めたことなどを紹介された。

日本とは

 続いて彼の興味を持った国,日本について多くの写真とともに紹介された。富士山をバックにした東京の摩天楼の写真から神社や城の写真,そして日本にあるおかしなタイポグラフィ,顔ハメ看板などユーモアを交えて日本のイメージを紹介された。さすがにフォトグラファーとして働いているだけに日本の風景写真はプロフェッショナル且つ美しい写真である。彼の写真を見たい方は彼のホームページをぜひ訪れて欲しい。

 さらに,日本に滞在中の些細な出来事に驚いたことなどを交える。たとえば日本のホテルで掃除の人が部屋へ入って掃除した後,自分の残してきたパソコンのケーブルがちゃんと結ばれて机の上に置かれていたことに驚いた話。日本にいれば当たり前のことだと気にも止めないことだが,そのようなこと細やかなサービスという概念はない海外からやってきた人にとっては特別なことのように感じるのだろう。

 また,日本のグラフィックデザインの例として創業当初の任天堂が作っていた花札を例に,昔からあるグラフィックデザインのセンス,美的感覚にまで話は及ぶ。その他,日本のパッケージデザイン,家紋,また家紋の結合によって新しい家紋が生まれる仕組み,季節ごとに丸めて絵を交換できるという画期的な絵,掛け軸についてなどと様々なものに話は飛躍していく。掛け軸には特に思い入れがあるようで掛け軸職人の仕事について制作した自身の映像も紹介された。これもホームページで見ることができるので興味のある方は是非見て欲しい。

「全てのものがより努力を要するようだ。」


 その後,日本のインターフェイスデザインについて,雪駄と箸と漢字を例に,キツァーキスさんはどのように日本を見ているのかがよくわかる面白い例を挙げる。つまり彼にとって日本の全てのものが西洋のものに比べて,より努力を要するように見えるようである。

  雪駄の鼻緒が真ん中についている=履きにくい。
  箸を使って物を食べる=食べにくい。
  漢字=読みにくい。

© Niko Kitsakis

 ここでの視点も大変面白い。いったいどのくらいの日本人が日本の雪駄の鼻緒が中央についており,西洋から来たサンダルの鼻緒が親指よりについてることに意識的に気づいているだろうか。もちろん雪駄好きの方は誰でも知っていることであろうが,雪駄は小指とカカトを多少はみ出して履くのが粋らしい。外国人にとって小指をはみ出して地面に擦り付けでもしたら痛いではないかと思うだけなのは想像に難くない。

文字システム

 そして話はその難しい文字,漢字・ひらがな・カタカナの説明へと続いていく。日本の学校では2,136文字を習い,JISスタンダードでは約13,000文字、辞書には50,000文字以上が並ぶ。西洋のアルファベットは26文字。それに比べて日本語は文字の数が多すぎて読みにくい。ではなぜこんなに難しい文字文化が今日まで残り続けたのか?
キツァーキスさんは三つの理由を挙げられた。


1. 文化的要素。すでに文字は日本の書道や絵画,グラフィック文化に何百年も溶け込んでおりそれらを捨て去ることはできない。
2. 発音が同じ同意語があるため。アルファベットで記述すると全ての同義語が同じ表記になる。
3. 漢字はアルファベットと違い意味を含む為。文字の意味から文意を読み取れることはアルファベットではできない。

 また,話は熟語の成り立ちにまで及ぶ。例えば「結論」。「結ぶ」と「議論」,議論を結ぶと結論になる。日本に生まれて日本語を学ぶと「結論」という熟語が議論を結ぶことだとはあまり考えない。結論は結論でありそれを分解してみようとは思わない。そのような視点が大変重要でありとても意味のあることだと思う。物事の出自,本来の意味を考える。その行為により今まで一義的だった「結論」という熟語は議論を結ぶというより意味の深いものとなる。このような視点は,彼が4ヶ国語が混在するスイスに生まれ,ドイツ人とギリシャ人の親を持つことにも関係があるのだろう。他の言語・文化にセンシティブにならざるを得ない環境で育ち,それを彼のデザインワークの中に還元する。

© Sebastian Weiß / Monotype

最後に

 最後にプレゼンテーションの前半で見せた写真にもどり,今まで説明してきたことがどう自分に影響を与えたのかを説明。特に日本語を学ぶ過程で文字を紙に書くという行為,こんにち手仕事のあまりない世界に生きている我々にとってどれほど魅力的で興味深い経験であるかということを力説された。

 また,彼が日本の文化を知るにつけて言葉だけでなくデザインや物事の本質に気付くことが,外国語を学ぶことに伴う新しい人生経験として特筆すべきにあたる。物事を敏感に感じ,その本質を発見する。デザインにしろ映像にしろ,なにかしらクリエイティブな職についている人々にとってこれほど重要なことはないだろう。

講演後とても親切に接して頂いたキツァーキスさんに大変感謝致します!

written by Toshiya Izumo •

Niko Kitsakis

Niko Kitsakis

Art Director (Zurich)

Niko Kitsakis is an art director who will soon have 20 years under his belt as a visual designer for German and international clients. He began as a typographer, and now takes on commissions in photography, motion design and usability. His love of the Japanese language and culture has led him to see many western things, not just typography, in a new light. That culture has also become his reference for questioning his own ideals, including in design. Niko considers his holistic concept of design to be his strength, which is why he likes to describe himself as a jack of all trades, but master of none.